こんにちは、ぽよです。
前回の続きです。
子ども時代のことから振り返ってみようと思います。
その前に★
わたし自身今は無宗教ですが、信仰は自由です。
特に何かの宗教を全否定するつもりはありません。
母の宗教への強い思いが親子関係に与えた影響についての話なので、宗教名は伏せて書いていこうと思いますm(_ _)m
わたしの記憶がある頃から母は毎日朝晩必ず仏壇に向かって何時間もお経を唱えていました。
母曰く、わたしは赤ちゃんの時に入信している(宗教に入っている)そうで、だから『守られている』との事でした。
この後もたくさん出てきますが母は何かと信仰に結びつけて話をする人でした。
口癖は『信心』です。
何歳だったか曖昧ですが、4、5歳の頃ぐらいからはほぼ毎日仏壇の前で正座して手を合わせお経の簡単な文章を言う練習をさせられていました。
なぜ『しないといけないこと』なのかはわからなかったですが、母がそれをすると褒めてくれる、逆に嫌だというと怒った顔をするということが、子どもだった私にとってのそれをする理由でした。
そして母曰く、『信心をしているんだから他の宗教に関連する行いをしてはいけない』そうで、いくつか禁止されていることがありました。
代表的なことは
・クリスマスツリーは出さない
・初詣は行かない
・神社のお祭りに行ってはいけない
・お守りを持ってはいけない
今考えると日本の子どもが楽しみにしていることを奪うような内容です(笑)
クリスマスツリーに至っては幼稚園時代に捨てられた記憶があります。
クリスマスツリーってキラキラしていて大好きで、とても悲しかったので、「あかん!」と言われて片付けられていく瞬間の光景を今でもなんとなく覚えています。

だから自分が親になったら、クリスマスツリーを飾って子どもと一緒にクリスマスパーティーをすることがずっと夢でした(^^)
初詣に行っておみくじ引いた話を友達に聞いて、すごく羨ましく思った小学生の頃。
仲良しの友達と近所の神社のお祭りに行くこともダメと言われ、小学校高学年の時に母に怒られながら無理やり押し通して初めてお祭りに行きました。
反抗期もあり、そのぐらいから少しずつ怒られても言うことを聞かずに意見を押し通すことも出てきました。
けれども幼稚園、小学校低学年頃は母の言うことが全てのような感覚もあり、嫌だなとは思っても『母の言っていることは間違えている』という感覚にはならなかったです。
そして、子どもながらに母がどうすれば褒めてくれるのかを、わたしは分かっていました。
(③に続きます☆)