こんにちは、ぽよです。
つづきです。
母への不信感が募っていきつつも、まだ「こんなことはおかしいからやめる!」とまではならなかったわたし。
こどもの時から常にわたしのそばに信仰、宗教がありました。
その為かその宗教や信仰すること自体が悪いとかいう風には思うことはなく、変な感覚かもしれませんが、あるのが普通のもののような感覚でした。
でも子どもながらも「みんなとは違う」というのはなんとなく感じていて、隠していました。
例えば宗教の集まりの日に友達に遊びに誘われると断らなければならず、理由も本当のことは言えない、、、みんなに変だと思われるから言いたくない。
そういう時にわたしは嘘をつくようになりました。
今思えば友達の誘いを断ってまで行かなければならない理由はないのに、、、。
不思議なことに幼い頃から母に「しなければならないことだ」と刷り込まれていると、そう思ってしまうというか、それを拒否するという選択肢がすごくハードルの高いものになっていました。
法事がある、親戚の家に行くなどの当たり障りのない嘘をついて誘いを断り、宗教での行事に母とともに参加していました。
本心では友達と遊びたいのに、、、。
母にはわたしの本心がわかっていなかったのか、それとも「子どもの気持ち」に目を向けてくれなかったのか、今となっては分かりません。
でも自分が母となった今、子どもが自分のしたいことを押し殺して嘘をついてまで母親の都合に何度も付き合わなければいけないなんて、ありえないと感じます。
子どもだって『1人の人間』で、一個人です。
その時はわからなかったですが、母の思想を押し付けられて行動を制限されているうちに、少しずつわたしの中で『母はわたしの気持ちを理解しようとしてくれない人』になっていったんだと思います。
はっきりとした言い方をすると、子どもがどう感じているかより自分の正しいと思うことを理解させることが母の中では重要だったんだろうと思います。
100%そのせいだとまでは言いませんが、その影響を受けてか、わたしは大人になるまで『相手の立場に立って考える、思いやる』というのが得意ではありませんでした。

高校生、短大生の頃には自分でアルバイトしたお金で友達と遊びに行くようになったり、色んなことに興味を持ち始め、毎日時間が足りないと感じるくらい自分のしたいことに精一杯になっていきました。
そうなると今まで以上に毎日勤行したり宗教の集まりに時間を使いたくないと感じるようになりました。
高校や短大で色々なことを学び、信仰の自由や思想な自由、自分らしさについてなども学びました。
知識も増え、考え方も少しずつ変わってきました。
そんな中もう母の言うことを聞くのは嫌だという気持ちがとうとう勝つようになり、ある頃から宗教に関することはほとんどしなくなったのでした。
(つづきます)